2018.07.12 Thursday 17:43

「保育は明るく楽しい必要悪」(掛札の言葉)

(keiko oedaさんの投稿をスレッドにしました。ちなみに初版の背表紙が間違っているのは、すぐに修正して、ご希望の方には交換をしています。以下で「読者会」とあるのは、雑誌『エデュカーレ』で開いた読者会のことです。)

(掛札の返答は、下のコメントに書きます)

 

先日の読書会の中で、掛札先生が、
「保育は楽しく明るい必要悪という立場でやらないと、保護者から子育てを奪ってしまう」と言われていました。

「深刻死亡事故」にかかわるご自身の仕事についても「なくなることを前提にやっているし、そうやって自分の仕事がなくなることを前提に行うことは極めて健全です」とも。

死亡事故がなくなれば、それに関する情報や研究が必要なくなるから、というのはわかるのですが、
保育もなくなったほうがよい、という立場だと言うことなのでしょうか?
小学校もなくなったほうがよい?

私は専門家の人が、子どもを育ててくれることに意義を感じているので、なぜ、保育が必要悪なのかがよくわからないのです。
現状のような、園によっては危なっかしい内容で、しかも長時間やっていてもないよりはいい、という意味でしたら理解できます。
(ただ、そうであれば、研鑽を積み、保護者と協力しながら保育している園の先生たちにとって、まるっと必要悪、と言われてしまうのはどうなのかなあーと。そもそも、保育者は保護者の代わりではないので


私は個人的には、赤ちゃん生まれたら、
1年間は保護者が保育園にきて、
プロの保育者と一緒に、
みんなで子育てし合えるというのが
理想だと思ってます。
ただ、お母さんやお父さんが病気のときなどは、
預かってくれる。これは絶対に必要な保育。
社会で育てるというのは、そういうことかと。

1歳児なら保護者は来てもいいし、
2歳になったら、子どもだけで。
徐々に集団へ送り出すイメージです。

掛札先生の考える理想の子育て環境というのが
どういうものなのかなと興味がわきました。


Comment:
2018/07/12 5:59 PM, 掛札逸美 wrote:
投稿、ありがとうございます。私のあとがき、260ページ〜262ページをお読みください。

現状の保育は単なる「必要悪」ではありません、「明るく楽しい必要悪」です。これが「明るく楽しい必須の場所」になるためには、ここ数十年、保育所と保育者が(社会と保護者から)引き受け過ぎてきたものを手放し、保護者と保育者がシステムとしても感情としても、「横並びに」子育てをする形にしていかなければならないだろうと私は考えます。

月曜日から土曜日まで、11時間も12時間も子どもを預けて働かなくてはいけない社会を「正常だ」と言う気は私には一切ありません(「働き過ぎ」の話も「3000万語」サイトに次、翻訳します。保護者の話ではなく社会の話です、これは)。「一人しかみられないから、もう一人は預かって」とはっきりおっしゃる親御さんが、(保育所に預ける以外)子育て支援を受けられない社会を「正常だ」と言う気もありません。本来、社会福祉士を置いて対応すべき保護者に保育者が対応している現状を「正常だ」と言う気もありません。

「それは保育園の外の話だ」と言うこともできるかもしれませんが、あれもこれもと保育園が抱え込みすぎてきた結果であることは事実です。押し返さないでここまできたのですから。今、「親心を育む会」の先生たちだけでなく、あちこちの先生たちが「できることなら、これを押し返し、少しでも子育てを保護者の手に戻したい」とおっしゃっています。私はその中の(門外漢の)一人です。保育園をなくせなどとはひと言も言っていません。バランスが崩れている、と言っているのです。

「明るく楽しい『必要悪』」と私が言っている理由は、おのれのしていることが「すべて善である」という認知を持つのはそもそも不健全だ、という意味でもあります。本書の中にも出てくる「critical thinking(クリティカル・シンキング)」は、自分自身の行動や思考や認知も含めて、常に見直し続けるスキルです。おのれのしていることを常に、肯定的にも否定的にも批判し続けることを続けなければ、個人も社会も破綻しますから。
2018/07/12 7:25 PM, 掛札逸美 wrote:
追記

「明るく楽しい必要悪」と言っているのは私だけで、私のまわりの人が言っていることではありません。私は自分が「保育園の深刻事故予防」という仕事、明らかに「仕事として成り立たなくなることを目的とした、必要悪の仕事」を今しているから、この言葉を使っただけのことです。

もうひとつ、高山先生が解説の中で「支援は本来、支援がいらなくなることを目的とします」と書いておいでです。保育は(幼稚園と異なり)「福祉」の領域だと私は理解し、福祉も本来は「足りないところ」を支援するものだと理解しています。(保育園が当初システム化された時の「福祉」の意味あいではなく)今、過労死するぐらいに働いている(所得はさまざまな)保護者たちの「足りないもの」を支援するために今の保育施設があるのであれば、では、その過労死するぐらいに働いている保護者の状況はそのままにしておいていいのか。

保育は真空の中に「子ども、保護者、保育者」として存在しているわけではありませんから、社会の中において果たす役割として、今の状況がいいのだろうかと私は申し上げています。もし、「なにかが違う」と思うのであれば(そういう保育者の方はたくさんいます)、内側から「これは違う」「こうしたほうがいい」という声を挙げていかなければ、「待機児童」や「人手不足」を自分たちの利益誘導のために使い、「待機児童」や「人手不足」をさらにあおっている人たちの思うままになり、結果、保育の質どころか、保育の屋台骨自体が数年後には崩壊することになるのではないかと、(門外漢だからかもしれませんが)懸念しているのです。
2018/07/12 9:31 PM, しもたか wrote:
「必要悪」という言葉から連想するもの

自衛隊、銀行、自動車・・・等々。

本来なくてもいいけれど、それがあることによって得る恩恵と、それがあることによる副作用を天秤にかけ、今の時点で前者がそれを上回っている状態、あくまでも、そのバランスの上に成り立っているものという風に感じます。原発などは私の心の中では、今は恩恵より副作用の方が大きくなっている気がするので、必要悪ではなく、不要もしくは悪だと思います。ただこれも他の選択肢が無くなって、電気がない状態になるのであれば恩恵が上回りますので、必要悪に復活する可能性もあります。

つまり、必要悪とは、相対的な状態だと思うわけです。

その上で、保育園は必要悪か否かということですが

私は保育園を運営している側の人間ですが、ずばり「必要悪」だと思います。

本来、子どもは何万年も地域や村の中で、見守られながら群れ遊びを重ねて育ってきました。そうした中、汐見先生の話によれば、産業革命が起こり子育ての担い手である父親が工場や軍隊に駆り出され、子育てをする人がいなくなってしまったため、今度は学校が出来て学校では軍隊や工場で働くことが出来る人間をたくさん送り出すようにカリキュラムが組み立てられてきたそうです。

児童相談所やDVシェルターもない世の中の方が良いに決まっています。保育所で言えば、そもそもなんで保育に欠けてしまう状態が生まれるのか、ということを社会全体で考えるべきだと思います。

川下で子どもを掬うのではなく、川上で子どもを流さない社会をどう作っていくのか。

社会を変えるには、自分たちが選んできたライフスタイルを変更することになりますので、痛みも伴ないます。福祉が必要のない世の中を創るために、自由が全くなくなってしまうかもしれません。難しい問題です。

テーマを引き戻して、保育所の中の「養護」と「教育」という機能について「養護」については必要悪的な要素が高く「教育」についてはその要素が低い気もします。

大枝先生は保育所の「教育」の部分にウエイトをおいた見方をしているのかなとも思いました。

いずれにしても、先生方の多くの観方に触れることで大変学ばせていただいています。

ありがとうございます。
2018/07/12 9:38 PM, pちゃん wrote:
ブログで学ばせていただいています。

保育園は必要悪かどうか、必要な部分もあるし必要悪的な部分もあるのではないでしょうか。

乳幼児の発達やそれに対する適切な援助というのは、一定の知識や経験、技術が必要です。

こういう部分はそれを保育所が担うかどうかは別にして必要なことだと思います。

言葉を選ばず言えば、例えば休日が年末年始しかなく359日開所、夜も10時まで開所を求めるような驚くべき都内の公募のように、子どもの都合や気持ちを全く考えず、大人や経済本位の保育体制、これは必要悪ではなく、悪だとおもいます。

保育所は子どもの専門家を自認するのであれば、悪の部分に対して毅然と専門性を持って抗弁することが任務であると思います。

そうすれば、保育所は必要悪ではなく「必要」な存在になるのではないでしょうか。
2018/07/12 11:24 PM, 掛札逸美 wrote:
二分法ほど役に立たず、思考を硬直化させるものはないので、「保育は必要か必要悪か」という議論をする必要はないと思いますが、私も「今の保育の状況は必要悪」という相対的な言い方です。そして、「必要悪だからいいかげんな仕事をしていい」ではなく、「3つのT」も含め、よりよい保育をしていく。今、自分たちがしている仕事にディレンマを抱えた状態で、だけど目の前の子どものために必死に働いている保育士さんたちを見ているから、「明るく楽しい必要悪」と私は言っているわけです。

お2人のご意見を読んで、また考えています。
2018/07/15 9:35 PM, keiko oeda wrote:
掛札先生、しもたか先生、Pちゃんさん

コメントありがとうございます!
(3000万語と直接関係しない話題になってて
すみません)

まず、ひとつ、現在の保育園ですが、
2017年に策定された保育所保育指針で、保育所は制度的に「幼児教育を行う施設」だと認められています(総則4)
指針の審査会の座長(汐見先生)も、
今までよりさらに教育的な関わりを意識しています。
主には3歳以上ですが、幼児教育の場合、
いきなり3歳から始まるものではなく、
遊びを通して0歳からつみあげるものですから、
0からスタートしていると考えてられています。

法律的には福祉施設なのだけれど、
同じ3歳児なのにかたや幼稚園では教育があり、
保育園はない、みたいな誤解があるので、
今はそろえる方向で動いていますよね。

私が保育は「必要悪」じゃなくて、
「必要」だというのは、
しもたか先生が言われるように、
おもにはそういう教育的な意味合いを意識して
そう言っています。

たとえば、学校がなかった時代には、
べつに読み書き計算ができなくても、
親や地域から生活の知恵を得て、
生きていけていたかもしれません。
でも、時代が変わって、複雑な社会の事象を知ることで、よりよく生きられるように変わってきた。

学校のなかった時代はもしかして
のどかでよかったのかもしれない。
そう考えるのであれば、学校も必要悪ですね。
そういう考えにたっているのなら
保育園も必要悪っていって違和感はないです。

ただもう、その辺は現状では不可逆的。
(福祉が必要ない社会も同様で、
かつての「みんながタダで助け合う」社会を
前提にしていると、私は
予算取りがかえって難しくなるとさえ考えてます)

とにかく時代に合わせて、
より高度化したものを求めていくほうが
現実的だろうなと。
(ただ、そのシステムに固執することは
ないですよね。
原発も自動車もより安全な代替
メカ二ズムを求めればいいし、
保育園ももっといい形態があるなら
それでも。
私は保育園は、原発や自動車とは違う、
と思ってますけど(^^;))

掛札先生が言われているのは、
こういう議論ではなく、
あくまで、現状のような、
きゅうきゅうとした保育園のシステムは、
「必要悪」としか言えない
ということですよね。

11時間開所も本来、
8時から16時までの勤務の人や、
10時から18時まで勤務の人、
おまけに片道1時間半の通勤時間の人も
いるので、
「11時間あけててね」という意味なんですよね。
Pちゃんのいわれる、22時までの開所も、
14時から22時近くまで勤務の人を助けるための
措置。
(開所時間が就業時間に合わないと、
本当に必要な親は子どもを保育所終了の後、
別の夜間保育に預けなくちゃいけなくて、
なお子どもにストレスがかかる。
そのへんも議論されたと思います)

ただ、
なんか、開いてる限り預けないと損みたいな
空気になってる。
そこは押し返さないと、
保育者が疲弊し、子どもも不利益を被ると思います。






2018/07/15 9:36 PM, keiko oeda wrote:
背表紙の件は、気がつかず、すみませんでした!
情報ありがとうございました。
2018/07/16 1:04 PM, サボコ wrote:
掛札先生、(もうだいぶ日が経ってしまいましたが)先日の研修会ではありがとうございました。

『3000万語の格差』少しずつ読ませていただいています。(車通勤なのと家事の要領が悪さから、ゆっくり本を読む時間がなかなか取れない自分、情けない)
まだ105ページあたりなのですが、すごく色々考えさせられます。
自己制御の話は特に、今の日本の話そのものではないか、と。

園でも手のかかる子どもがどんどん増えている現状。
行事の後に保護者アンケートをすれば、自分(親)が快適に、ラクに参加したい、という意見が必ず出ますし。園の行事は、デパートとかでやってる親子イベントじゃないんですよー、と言いたくなります。

色々モヤモヤしながらも、早く読み進めたいです。
以上、ちょっと感想でした。

しかし、毎日暑いです。
お身体に気をつけてお過ごしください。
2018/07/16 10:24 PM, しもたか wrote:
大枝先生
実際に民営化のあちこちの公募条件を見ていると、胸が痛くなるようなものもあります。

年間で年末年始以外は全て開所、夜もできれば夜間保育、病児保育や病後児保育もやって欲しいというものもあれば、暗に専門講師がそれぞれやってきてミニ小学校のように授業を行うことを教育だと思って居るのだろうな、というものもあります(特別なプログラムを導入する場合、親に負担をかけないようにとかいう言い回しですね、笑)

いずれにしても、子ども自身への配慮というより、親の都合と経済優先(みんな死ぬまで働こう!)という働き方改革でしょうかね。

ほんと、自分が通うために親が学校を作ってくれたような、どこかの副総理には決してわからない世界だと思います。

附属の小学校は、超アクティブラーニングで、子どもたちの非認知的能力を育み、彼らの多くは官僚や政治家、経営者や企業の指導層に羽ばたいていきます。一方、公立の小学校では大人の言うことをきちんとこなす子ども作りが行われてきました。

支配層と非支配層をシステム的に作っているのかな等と訝しく思ったこともあります。。

「保育の質」は保育園を中心に行われるべきものですが「子育ての質」を向上するには、社会全体の取り組みが必要だと思います。昔は、近所の人と子育て互助会みたいになっていて、困った時は家で夕飯たべてきな、とかいう世界がありましたが、今はほとんど消えてしまったため、ファミサポとかがそれを担わなければいけませんが、なかなかそういう方もいないため、行政も当事者も途方に暮れることもままあると言います。

例えば自治体で実際に合った事例では、切迫早産でお母さんが緊急入院、お父さんは出張、ご両親はこちらに来れないとかの場合です。

子育て共助の世の中を取り戻さなければいけないと思います。


2018/07/16 10:56 PM, Pちゃん wrote:
大枝先生、皆様へ
毎回ブログで学ばせていただいています。(またまた3000万語と直接関係ない話題になっていてすみません)

多様性な働き方があることを念頭に置き、乳幼児を育てながら(一概には言えませんが)例えば、22時まで預けなければいけない社会ってどうなのかなぁって感じています。
先日、井桁先生と話をするご縁を頂いた際に、丁寧に話をすると保育時間について考えてくれる保護者は多いと伺いました。
個人的な経験からの考えではありますが、自分自身が30代の頃大学生という身分で子どもを保育園に預け、お迎えは駅からインターバルダッシュしていました。本来ならもう少し研究室に残りたい等ありましたが、(社会保障は担保されてはいましたが、(延長保育等))自分自身の中で優先順位を決めて生活していたように思います。
2007年生まれのお子様の健康平均寿命は107歳といわれている時代の1世紀を生き抜く子どもたちの大切な数年を、どう育てるのか今一度考えてもいいのでは個人的には思います。当法人では保護者支援を「家庭の養育環境がこどもにとって幸せなものとなる支援」と考えています。
一時期、ケースワーカーとして特養で経験を積ませていただきました。家族の在り方について随分と考えさせられました。育てたようにしか育たない、振り子のように自分に返ってくるものだと学んだ記憶があり、現在の保育について自分の中で複雑性がうまれます。


最近の気になるニュース
3000万語の格差について随分時間がたってしまいましたが、HONZ 山本尚毅さんがダイヤモンドオンライン等で取り上げてくださっています。
https://diamond.jp/articles/-/173900?page=4
http://honz.jp/articles/-/44757

保育園無償化が効果ゼロに終わる3つの理由 秋田 喜代美 : 東京大学大学院教授
https://toyokeizai.net/articles/-/228749

2018/07/18 11:29 AM, keiko oeda wrote:
しもたか先生 Pちゃん先生
(※Oedaは先生ではありません(^^;))

レス、ありがとうございます!

今の保護者が「楽をしたい」というのは、
そう思ってもしかたないと私は考えています。
かつて地域でやってきた子育てを
今は核家族で、ともすると母親ひとりに負わせる
構造になっている。
もともと、子育ては楽じゃないんだけど、
一人でやるのは無理なんですよね。
ですから、「核家族化で大変になった部分について、
楽にさせてあげる」のは、社会の責任だろうと。
でも、それはあくまで上乗せになった「大変な部分」についてであり、
何から何まで肩代わりしてしまうと、
あとでお母さんに「もったいなかった!」
私の関わりが少なかったからかも!(>_<)」って
残念な気持ちにさせるので、
やめたほうがいいと思っています。
(私は、親じゃなくても子は育つと思っていますから、そちらの心配はあまりしていません)

掛札先生が言われるように、
まずは行政や企業が、
子育てに保護者が向くことができる
就業環境を作ること。
ここが変わらないと、家庭単位で会社と闘うことになり、親はより疲弊してしまいますよね。

それと同時に、すでに自由になる時間内において、
「あとでもったいなかった!って後悔しないよう、
優先順位について考える」というとりくみは
あの手この手でやっていけたらと思います。
(私自身が、とても後悔しているわけですw
でも振り返っても、本当にいっぱいいっぱいで、
つらかったことも事実で……)

秋田先生のおっしゃることは
まさにその通り!
11時間全部を無償化にしなくたっていいでしょ、
というのは、ほんとうにそうですね。
まあ、8時間とかにすると、事務方が計算しなくちゃいけなくて、大変かもしれませんけど。
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