2018.06.15 Friday 14:48

「定義」とはなにか

 下の大枝さんの「自己肯定感」の話以外でも、「定義」の話が出たので、書いておきます。

 まず、こちらのリンクの5ページ、掛札の文書をお読みください。これが前提です。これを読まないで次へ行かないでくださいね。

 日本保育協会 保育科学研究所『研究所だより』22号(2016年) 「研究を科学にするのは、最初の『定義』」

 

 パッと考えただけでも、「定義」にもいくつかあります。

 

1)辞書的な定義:大枝さんが書いていらっしゃる(元は私が回答に書いた)「誰が答えても『セルフエスティームとは自信と満足』と言い切」る。これが辞書的な定義です。現実の生活や議論や研究においては、実はこの定義は役に立ちません。「自分に対する自信って何?」「自分に対する満足って何?」となってしまうからです。

 

2)現実の生活や議論における定義:保育にも出てきますが、いわゆる「共通認識」と言うものです。

 園内コミュニケーションの話をする時、私は時々、こういう質問をします。「あなたにとって『子どもに寄り添う』ってどういう行動ですか?」「あなたにとって『クラスの棚の上が片付いている、整理されている』って具体的にどういう状態ですか?」「あなたにとって『子どもの最善の利益のための保育』って具体的にどういう保育ですか?」「あなたにとって『子どもの睡眠の様子をチェックする』ってどういう行動ですか?」。これ、園内の一人ひとりでかなり違うはずです。もちろん「子どもへの寄り添い方」は保育者一人ひとり違って当然ですし、違っていたほうがいいのですが、「片付く」が違えばクラスの保育者の中で不和が起きますし、「睡眠チェック行動」が違ったら命にもかかわる。「子どもの最善の利益」はよくわかりませんが、ひとつの園の中ではある程度、そろっていたほうがいいでしょう。

 これも定義です。「同じ言葉を使っていても、あなたと私で違うことを考えているかもしれないね。これは、違ってしまうと困るね」という時に定義する。一方、違っていい、違うことに価値がある時は、「違うよね」「違うからいいんだ」「へえ、そういうことなんだ」で豊かになるでしょう。

 「自分に対する自信」「自分に対する満足」ってどういう気持ち?とまわりの人に聞いてみてください。おそらく違うことを言うでしょう。ただし、考えるのがめんどくさいから、または先輩と違うことを言って後が大変!になりたくないから、「〇〇さんと同じです」という人が続いた時に、「みんな、同じことを考えているんだね」と思うのが誤りであることはおわかりの通りです(自分の意見を言ってなんぼと育てられている米国人は、「〇〇さんと同じです」を言いません。受け売りでもなんでも、自分が考えたかのように言います)。

 

3)科学的研究における定義

 これが上の『研究所だより』に書いたことです。Operational definiton(操作的定義)と呼ばれるものです。「この研究では、self-eteem(日本語では「自己肯定感」または「自尊感情」と言われる)、セルフ・エスティームをこのように定義し、次のような尺度を用いて測った点数をその人のセルフ・エスティームのレベルとします」、これが操作的定義。

 

 掛札が言っている「定義」は、2と3です。辞書的定義は大事ですが、複数の人で話をする時、あいまいに、お互いがわかった「つもり」、共通認識を持っている「つもり」で話すことは危険ですし、それでは何も具体的には変わりませんから。

 ご興味をお持ちの方は、たとえば、

自尊感情尺度

でネット検索してみてください。英語で最初に開発されたセルフ・エスティーム尺度や日本文化独自の尺度を作ろうとしている研究がいくつも出てきます。ある文化で作られた尺度が他の文化にそのまま使えるかどうか、それ自体、検討しなければいけませんから。

 

 日本語の単語と英語の単語が100%、イコールになることはないと思います。ですから、self-esteemを「自己肯定感」と訳したのは、あくまでも辞書的定義を用いた近似値です。従来使われてきた訳語「自尊感情」を使うべきだったのかなとは反省しています(「自尊感情」は「自尊心」とかん違いされて、それ自体がマイナスなイメージでとらえられるため使わなかったという経緯があります)。

 


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